久良工務店ー久良大作のブログ

大工ですが、建築以外のことを綴ります。 建築については「木の家をつくる~土に還る家づくり」へどうぞ。

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街での孤独感

 年末に大工の集まりがあり、東京(正確には埼玉)に出かけた。同じ志を持ち、各地での現場で同じ喜びと苦労を味わっているだろう同業の者たちとの酒を交えた語らいは、無条件で楽しい。時に喧々囂々と喧嘩になりかねないような発言も飛び出すが、気を許しているが故の発言と考えれば、良い糧にもなる。寝袋持参の集まりで、知らぬ間に世は明ける。日曜の夕刻、自宅に戻るため最寄り駅に。年末のプラットホームは冷たい北風が吹いていて、寒い。郊外の駅とはいえ乗客は多く、どこに向かうのか皆じっと電車の到着を待っている。山口県の片田舎では決して感じることのないような寂寥感。街でのみ感じる孤独感。想像力はその対象が多ければ多いほど、一つに向かうそれは拡散してちいさくなってしまう。そう考えれば人口の多い都会で空間に飛び交う想像力は、そのほとんどが希釈された想像力でしかない訳で。
 次元は違うが、ハウスメーカーはみんなが対象。個人の大工はひとりが対象。似ていないだろうか? 「みんなのために」という言葉を私は信じない。ひとりと真剣に向き合ったことのない者に限ってそういう万人受けすることばを平気で使うからだ。みんなを愛するよりひとりを愛することのほうが難しい。徒労かもしれないが「ひとりに向かって」を繰り返し実践してゆくしか普遍性にたどり着く道はない。


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コメント

昨年末「みんなのために」という言葉を使った人がいました。その人のおかげで協同組合の申請もでき、私は心の中でとても感謝し、信用もしています。また、一人一人になどこだわることもなく損得を無視するどころか自腹を切って塾を主宰する設計士もいます。愛することとは会話と違い、ただ与えること、見返りを求めず与え続けることではないでしょうか。

埼玉の特殊な大工?さん
その「みんな」ということばが誰をさすのか。そのときどきでよく考える必要があると思います。対象がごく少人数の顔が見える場合であれば各自が持つ「みんな」の対象はほぼ合致するでしょうから問題がおこることは少ないでしょう。しかし、政治家や先生と呼ばれる、いわゆる人の上に立つ人間や社会的経済的地位が高い人間が、なんの熟慮もなく「みんな」ということばを使うことに私は抵抗を覚えます。今まで(特に日本においては)「みんなのために」というお題目のもとに、力のない少数者の声はかき消されてきたし、「みんなのために」ということばが、実は私腹を肥やすおためごかしの意見であったりすることがよくあるからです。
「みんなのために」ということばは、誰もが反対できない、自己陶酔しやすいことばであるがゆえ、軽々しく使うことはできないな、と自分を戒めています。

右側の女性の目線、左側の今時の住宅、縦と横の線。いい写真です。
また、その時の話を聞かせて下さい。
自分のことで精一杯という時間が多く、施主さんのためというより自分のために仕事しているのが正直なところでしょうか。
施主さんが聞いたら憤慨するかもしれませんが。

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