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ゆく河の流れは絶えずして
久しぶりに降り立った駅の風景は一見昔と変わりない様子で無表情だ。子供時代を過ごした街を20年以上も前の記憶を辿りながら足をすすめる。自転車で走り回っていた街は今こうして歩いてみると驚くほど狭く感じられる。年老いた母親の背中を見るような感じだ。マンションが建っていたり新しく道路ができていたりすることに驚く一方で、見覚えのある店や個人病院が(営業しているかどうかは不明だが)そのまま残っていたりすることにもあらためて驚く。少子高齢化を裏付けるかのように、公園に人影はなく、遊具は草に覆われ、主人公がいなくなって久しいことを端的に物語る。堤防を犬を連れて散歩する老人に「ここにあった小学校はなくなったんですね」と尋ねると「もうずいぶんになるよ」とのこたえ。以前住んでいた団地は今でも厳然と存在しているが、昔一緒に遊んだ彼らはもうここにはいない。公園の草むらに寝転んでしばらくの間、目を閉じた。幼少の頃によく父から聞かされた「方丈記」の一節を思い出した。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある人と、栖(すみか)とまたかくのごとし。」
このことばが、今になって初めて理屈抜きで自分の体に染み入ってきたことに、ひとりさみしく歓喜した。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある人と、栖(すみか)とまたかくのごとし。」
このことばが、今になって初めて理屈抜きで自分の体に染み入ってきたことに、ひとりさみしく歓喜した。

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