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久良工務店ー久良大作のブログ

大工ですが、建築以外のことを綴ります。 建築については「木の家をつくる~土に還る家づくり」へどうぞ。

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怪我と痛みについて

子供には「小さな怪我はすればいい」とよく言っている。大きな怪我を避けるためには小さな怪我をもらっておく事が、ある意味で必要不可欠だと考えるからだ。ことばで「刃物は危ない」と子供に言っても、ナイフを使って自分の指を切ったりした事がなければ、刃物がどれほど危険なものかは本当に理解することはできないし、人の皮膚という物がどれほど柔らかいものなのか、自分の身に流れる血のあたたかさも実感する事はできない。

私が二階の梁から落ちたのは昨年の10月1日。第12胸椎圧迫骨折と診断され、年末までの3ヶ月を安静に過ごした。幸いなことにほとんど後遺症もなく現在も大工を続けている。自分の不注意から怪我をしたことを今でも悔やんでいるし、引き渡し前の現場を抱えての怪我は精神的にも金銭的にも相当こたえたことは確かだ。しかし収穫は確かにあった。何もできない毎日で、半身不随の人の生活を文字どおり我が事として考える機会をもらったわけだから。

・昨日と同じような生活が今日も送れるということは決して保証されたものではない。
・表面的に知っているという事とその事を深く考えるという事の間には雲泥の差がある。
・自分が知っていると思っていることでも本当はほとんど分かっていない。

怪我をしたとき、本を読んでいてうなった文章があります。以下。

「痛みとは、たとえ同一の集団で同時にこうむったにせよ、絶望的なほどに「私的」であり、すぐれて個性的なものだ。つまり、痛みは他者との共有がほとんど不可能である。ーーーーー(中略)ーーーーー私固有の痛みとはるかな他者のそれには、やはりなにかの縁があり、ときには果てしない距離を置いてたがいに鈍く重く疼きあうこともありえようと私は思っている。二つの異なった痛みをつなぐのは、私的痛覚を出発点にした他者痛みへの想像力に他ならない。むろん、おおかたそれは容易に届きはしない。翻って、他者の想像力も私の核にたやすく達しはすまい。痛みはだから、いつも孤独の底で声を抑えて泣くのだ。しかし、それでもなお、私の痛さが遠い他者の痛さにめげずに近づこうとするとき、おそらく想像の射程だけが異なった痛みに架橋してゆくただひとつのよすがなのである。私たちの日常の襞に埋もれたたくさんの死と、姿はるけし他者の痛みを、私の痛みをきっかけにして想像するのをやめないのは、徒労のようでいて少しも徒労ではありえない。むしろ、それが痛みというものの他にはない優れた特性というべきである。」   辺見庸『痛みについて』より抜粋

自分の感情や考えをクリヤーにするには「ことばとして表現する、書く」ということが必要不可欠だという事も、最近確認した事のひとつです。もうひとつのブログ「木の家をつくる~土に還る家づくり」「自分の家をつついてかんがえたこと」を投稿しました。 そちらのブログからこちらに飛んで来てくださった方、どうもありがとうございます。(久良)

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