久良工務店ー久良大作のブログ

大工ですが、建築以外のことを綴ります。 建築については「木の家をつくる~土に還る家づくり」へどうぞ。

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目に見えるということ

 自宅からトラックを30分ばかり走らせると、結構開けた盆地にある水田(休耕田?)の中に、唐突に瓦礫の山が目に前に現れる。高さ10m程度の山が三つ四つ。コンクリートガラや木材(廃材)がうず高く積まれているのだが、そこにー産業廃棄物処分場ーの看板もー中間処理施設ーの看板も塀すらない。既視感もあり、おそらく20年程度前から今と似たり寄ったりの状態であったろうと想像する。所有地内での一時保管というには無理がありそうだ。 明らかに産廃の野積みであり、法に抵触するものと思われる。

 しかし、目にした瞬間に単純な違和感は覚えたものの、ある種の潔さ(?)を感じたのも事実である。
 通常われわれ建築業者は解体や工事などで出た産業廃棄物は分別して産廃処理業者に持ち込む。重さもしくはかさに応じてウン万円を業者に支払う。引き換えにマニフェストという書類(免罪符)を手にしてゴミは晴れて自らの手を離れる。前述のコンクリートガラや木材などは粉砕されて再利用される割合が多いようだが、廃プラスチックについてはそのほとんどが山間部への埋め立てとなる。それらの認可された産業廃棄物処分場は大概が人目につかない、あるいは人目につきにくい山間部に存在し、町に住む人たちはその存在すら知らないだろう。ゴミはゴミ袋に入れて自分の手から離れた瞬間に自分の頭の中から完全に削除されてしまう。自らの消費生活から生じる必然であるにもかかわらず、それらについては何としてでも目を覆いたいのである。しかしどうだ、私の手から離れて既に消滅したと錯覚していたものが突然目の前に現れたのである。
 そう、問題は何一つ解決していないのだ。目に見える形でそれを示してくれたゴミの山。それは、現在の消費社会において決して目を塞ぐことができない汚物なのだ。

 臭いものにはふたをしたまま。 
 巷にあふれるエコを標榜する者たちに、ゴミの中に首を突っ込んで汚物を素手ですくいあげる気持ちが米粒ほどでもあるのだろうか?

 目に見えるということ、可視化されているということは大変重要なことである。

 話は変わって、岩国市長は米軍再編に関する内部協議資料全面非開示を決定した。「一部開示が妥当」とする情報公開審査会の答申を無視しての話である。協議の前提となる資料の開示すらかたくなに拒む姿勢は、市長自ら、ゴミを拾うつもりのさらさらないことを雄弁に物語っている。



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