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マッチを買う
タバコをやめてからライターとは縁がなくなったけれども、いまだマッチは必需品。薪ストーブはもちろん灯油ストーブ、卓上ガスコンロ、我が家のものはいずれもローテク機種のため、点火時には欠かせない。ライターやチャッカマンを使っていた時期もあったが、意外とすぐにガスが切れたり、使い勝手が悪かったりと、いつのころからかマッチを使うようになった。何故そうなったか深く考えたことはないが、ローテクであること、素材が木であること、使ったあとゴミにならないこと、そんなところだろうか。何年間使ったかわからないが、残りが少なくなったので新しいものを買いに行った。1箱198円。中身はおおよそ900本。一日2本使ったとしても1年以上はもつ。
昨年9月27日から施行されたライター規制。百円ライターとして広く普及している使い捨てライター。子どもの火遊び事故を防ぐため、新たにレバーを重くするなどの対策をとらない従来品が販売禁止となったらしい。一方でオール電化住宅が増えて、コンロはIH、暖房はエアコンとなれば家で火を使うことはなくなる。住宅街では庭で焚き火ということもほぼ不可能だ。結果的に子供からどんどん火というものが遠ざかっている。火を使わない子育てというのはどうなのだろう。火の怖さを知らなければ火の扱い方もわからない。そのまま大人になったこどもは、以降、火とどう関わるのだろう。そのまま火を扱うことなく老後を迎えることになるのだろうか。
危険だから子供から遠ざけておくというのは、一番安直な方法で、本質的な解決には至らない。物心つかない子供の手の届くところにライターや刃物等の危険なものを置かないのは当然のことだし、それは政府が指導するものではないし、ましてや法律で規制するようなものでもない。物心ついた子供には火というものがどれほど危険なものか、刃物はどのくらい恐ろしいものか、身近なことから体験させてわからせるしかない。ナイフで鉛筆を削ったりリンゴを剥いたり、指のひとつも切るかもしれないが、自分で痛い思いをしたことは一生忘れない。生きてゆく上で、事故や怪我は完全に避けることはできないもの。だとすれば、大切なことは、その、たまにおこる事故やそれに伴う怪我ををできるだけ小さなものにおさえるということだ。言い換えれば、小さな怪我を糧に大きな怪我を防ぐということ。危険に対する感度は、経験によってのみ磨かれるのだと思う。法律でいろいろなものを規制したところで、そのもの自体、あるいはその危険性がなくなる訳では決してない。それらと対峙することになったときの身の処し方こそ子供が学ぶべきものだ。無菌室で純粋培養された生物は外の世界では生きてゆく抵抗力をもたない。暴力団排除条例にも青少年の健全な育成に関する条例にも反対だ。それらの規制の対象は(良い悪いは別として)決してなくならないものであり、とりあえず目に見えなくするだけにすぎないからだ。あるものをないものと錯覚させられた社会は逆にそれらのものに対する抵抗力をなくし、後々今まで以上のダメージを受けることになるだろう。また、危ないもの、汚れたもの、見たくないものが、見た目上一切排除されたデオドラントな社会では、ひとはおそらく正常な精神状態を維持することはできないだろう。ひとはだれしも自らの中にそれらのものを内包する存在であるからだ。
昨年9月27日から施行されたライター規制。百円ライターとして広く普及している使い捨てライター。子どもの火遊び事故を防ぐため、新たにレバーを重くするなどの対策をとらない従来品が販売禁止となったらしい。一方でオール電化住宅が増えて、コンロはIH、暖房はエアコンとなれば家で火を使うことはなくなる。住宅街では庭で焚き火ということもほぼ不可能だ。結果的に子供からどんどん火というものが遠ざかっている。火を使わない子育てというのはどうなのだろう。火の怖さを知らなければ火の扱い方もわからない。そのまま大人になったこどもは、以降、火とどう関わるのだろう。そのまま火を扱うことなく老後を迎えることになるのだろうか。
危険だから子供から遠ざけておくというのは、一番安直な方法で、本質的な解決には至らない。物心つかない子供の手の届くところにライターや刃物等の危険なものを置かないのは当然のことだし、それは政府が指導するものではないし、ましてや法律で規制するようなものでもない。物心ついた子供には火というものがどれほど危険なものか、刃物はどのくらい恐ろしいものか、身近なことから体験させてわからせるしかない。ナイフで鉛筆を削ったりリンゴを剥いたり、指のひとつも切るかもしれないが、自分で痛い思いをしたことは一生忘れない。生きてゆく上で、事故や怪我は完全に避けることはできないもの。だとすれば、大切なことは、その、たまにおこる事故やそれに伴う怪我ををできるだけ小さなものにおさえるということだ。言い換えれば、小さな怪我を糧に大きな怪我を防ぐということ。危険に対する感度は、経験によってのみ磨かれるのだと思う。法律でいろいろなものを規制したところで、そのもの自体、あるいはその危険性がなくなる訳では決してない。それらと対峙することになったときの身の処し方こそ子供が学ぶべきものだ。無菌室で純粋培養された生物は外の世界では生きてゆく抵抗力をもたない。暴力団排除条例にも青少年の健全な育成に関する条例にも反対だ。それらの規制の対象は(良い悪いは別として)決してなくならないものであり、とりあえず目に見えなくするだけにすぎないからだ。あるものをないものと錯覚させられた社会は逆にそれらのものに対する抵抗力をなくし、後々今まで以上のダメージを受けることになるだろう。また、危ないもの、汚れたもの、見たくないものが、見た目上一切排除されたデオドラントな社会では、ひとはおそらく正常な精神状態を維持することはできないだろう。ひとはだれしも自らの中にそれらのものを内包する存在であるからだ。
誰を守ろうとしているのか。何をまもろうとしているのか。
ここは地デジの電波が届かない山間の集落のため、同じ集落の人たちは地元のケーブルテレビに加入している。毎月数千円の料金を支払ってまでの必要性を感じないので、必然的にテレビはほとんど見なくなった。3.11の震災の様子はBS(はうつる)でみたが、それ以降のNHKの報道は酷かった。御用学者をかきあつめて原発事故を過小に見せることに躍起になり、結果的に国民に無用の被爆をさせた。NHKはいったい誰を守ろうとしたのか。
ところが、個人的に見たいドキュメンタリー番組の多くがNHK制作であることも事実。「食の安全 ベラルーシから学ぶこと」という番組がYouTubeにアップされているというのでパソコンでみようとしたのだが、「この動画は、NHKさんによる著作権侵害の申し立てにより削除されました。」という表示。かたや「プロジェクトX」は結構アップされていて、著作権侵害の申し立てはされていない様子。この取捨選択はどういう基準なのか。NHKはこの申し立てで何を守ろうとしているのか。守るべきは国民の命、放射能で汚染された食物から子供の内部被爆を最小限に抑えるための情報提供こそ何よりの使命と認識するのであるならば、前者の番組「食の安全…」こそ広く知らしめるべき番組ではないのか。
国民にとって本当に大事な情報こそを隠すということについては、NHKの根本的な姿勢は首尾一貫しているということか。公共放送とはいったいどういう意味なのかあわせてNHKにたずねたい。
ところが、個人的に見たいドキュメンタリー番組の多くがNHK制作であることも事実。「食の安全 ベラルーシから学ぶこと」という番組がYouTubeにアップされているというのでパソコンでみようとしたのだが、「この動画は、NHKさんによる著作権侵害の申し立てにより削除されました。」という表示。かたや「プロジェクトX」は結構アップされていて、著作権侵害の申し立てはされていない様子。この取捨選択はどういう基準なのか。NHKはこの申し立てで何を守ろうとしているのか。守るべきは国民の命、放射能で汚染された食物から子供の内部被爆を最小限に抑えるための情報提供こそ何よりの使命と認識するのであるならば、前者の番組「食の安全…」こそ広く知らしめるべき番組ではないのか。
国民にとって本当に大事な情報こそを隠すということについては、NHKの根本的な姿勢は首尾一貫しているということか。公共放送とはいったいどういう意味なのかあわせてNHKにたずねたい。
懐中時計
大工になってから、腕時計をはめなくなった。それまで使っていたものは何個もあったはずだが、壊れたか、無くしたか、今手元に残っているものは一つだけ。それはいま木の枠にはめ込んで車中の置き時計として使っている。腕時計とはもともと相性が悪かったのだろう。そんななか、小学生のとき父が国鉄の払い下げ品として松坂屋で買ってくれた懐中時計だけはいまだに愛用している。ゼンマイ式で毎日巻かないと止まってしまう。これまた車中の置き時計として、先のクォーツのものと並べてトラックの運転席に置いている。クォーツの時計を見て懐中時計の時計の針を合わせてねじを巻くのが、朝、現場に向かう前のトラックに乗り込んでからの最初の仕事だ。朝いつものようにねじを巻くと「プチッ」とバネが切れた。これで3度目。以前、時計店に修理に持ち込んでは断られ、やっと修理してもらった苦い思い出があるが、最近、腕利きの小さな時計店と顔馴染みになったので、今回は安心だ。
修理ができたとの電話をもらい、引き取りにいった。店は古い木造で4帖ほどの広さ。白髪の老紳士がいつものように迎えてくれた。時計の状態は悪くなく、まだオーバーホールの必要性はないだろうとのこと。修理内容の説明してくれ、「バネがなじむまでは優しく巻いてやってください」と、切れた古いバネを見せてくれた。さびも無く銀色に光っていたので「バネの材質はステンレスですか?」とたずねると、「よくわからんのです。どうも企業秘密のようです」 バネは幅3ミリ、長さ50センチ、厚さ0.3ミリほどのもの。休み無く動き続ける時計の動力部、強さとしなやかさと耐久性が必要で、技術の結晶らしい。畑違いのことではあるものの、同じ職人の専門的、技術的な話が聞けるのはひとつの楽しみだ。昔の鉄製のバネは、建具屋さんがよくもらいにきたそうだ。雪見障子の押さえに埋め込むバネとして、切って使えばちょうど具合が良いらしい。建具屋の衰退に伴ってか、いまはもう声をかけてくることも無いそうだ。何か使えることもあるかもしれない、と「古いバネ、いただいて帰っても良いですか」とたずねて持ち帰った。

修理ができたとの電話をもらい、引き取りにいった。店は古い木造で4帖ほどの広さ。白髪の老紳士がいつものように迎えてくれた。時計の状態は悪くなく、まだオーバーホールの必要性はないだろうとのこと。修理内容の説明してくれ、「バネがなじむまでは優しく巻いてやってください」と、切れた古いバネを見せてくれた。さびも無く銀色に光っていたので「バネの材質はステンレスですか?」とたずねると、「よくわからんのです。どうも企業秘密のようです」 バネは幅3ミリ、長さ50センチ、厚さ0.3ミリほどのもの。休み無く動き続ける時計の動力部、強さとしなやかさと耐久性が必要で、技術の結晶らしい。畑違いのことではあるものの、同じ職人の専門的、技術的な話が聞けるのはひとつの楽しみだ。昔の鉄製のバネは、建具屋さんがよくもらいにきたそうだ。雪見障子の押さえに埋め込むバネとして、切って使えばちょうど具合が良いらしい。建具屋の衰退に伴ってか、いまはもう声をかけてくることも無いそうだ。何か使えることもあるかもしれない、と「古いバネ、いただいて帰っても良いですか」とたずねて持ち帰った。

背負うということー番外編
「両手は開けておけ」とよく言われたことを思い出す。手がふさがっていてはいざという時に対処しづらいからだ。物心ついてあてもなく一人旅によく出たが、いつもリュックだったように思う。自転車と電車と徒歩が主な移動手段であるならば、それが最も動きがとりやすい。車を運転するようになってからは手さげかばんで行動することも多くなったが、それでもたまに列車で出かけるときは、やはりいまでもリュックだ。
年数回都心に出かける。新幹線のプラットホームに上ると、ころのついた鞄を引きずっている人を多く見かけるようになった。列車が到着するとホーム上は雑踏とともにあちらこちらからゴロゴロ、ゴロゴロ、とかまびすしい。引いているのはほとんどが若い男女。それほど大きくもない鞄。「どうして背負わないんだろう?」転がす方が楽には違いないだろうが、健康な男女が数人で喋りながら音を立てながら荷物を引きずる様は、かっこ悪く、また恥ずかしい。「不測の事態が起こったときはどうするのだろう?」と考えて、はたと思った。決まったあるいは決められた道を受け入れて歩いて行く者と、いつでも途中下車できるように身構えている者との、生き方の差なのかな、と。
年数回都心に出かける。新幹線のプラットホームに上ると、ころのついた鞄を引きずっている人を多く見かけるようになった。列車が到着するとホーム上は雑踏とともにあちらこちらからゴロゴロ、ゴロゴロ、とかまびすしい。引いているのはほとんどが若い男女。それほど大きくもない鞄。「どうして背負わないんだろう?」転がす方が楽には違いないだろうが、健康な男女が数人で喋りながら音を立てながら荷物を引きずる様は、かっこ悪く、また恥ずかしい。「不測の事態が起こったときはどうするのだろう?」と考えて、はたと思った。決まったあるいは決められた道を受け入れて歩いて行く者と、いつでも途中下車できるように身構えている者との、生き方の差なのかな、と。







