久良工務店ー久良大作のブログ

大工ですが、建築以外のことを綴ります。 建築については「木の家をつくる〜土に還る家づくり」へどうぞ。

「カレーください。」

大工仲間たちと岡山に行った高速道路での帰り、休憩のためサービスエリアに立ち寄る。日曜日の夕食時ということもあり満車状態。店内は人でごった返していた。トイレをすませた後、空腹を満たすためレストランの一番奥の席に男4人が陣取る。

メニューを見て、
私「カレーください。」

アルバイト風の、まだ10代とおぼしき女の子、
「カツカレーしか....。」

私「???...。」

気弱そうな女の子に理屈を説いていじめる訳にも行かず、あまり食べたくもなかったカツは私の腹に納まり、少々胸焼け気味。家について布団に入ってからも寝付きが悪かった。

こういう店に入ったら、今度から注文する前に席を立つことにしよう。

街での孤独感

 年末に大工の集まりがあり、東京(正確には埼玉)に出かけた。同じ志を持ち、各地での現場で同じ喜びと苦労を味わっているだろう同業の者たちとの酒を交えた語らいは、無条件で楽しい。時に喧々囂々と喧嘩になりかねないような発言も飛び出すが、気を許しているが故の発言と考えれば、良い糧にもなる。寝袋持参の集まりで、知らぬ間に世は明ける。日曜の夕刻、自宅に戻るため最寄り駅に。年末のプラットホームは冷たい北風が吹いていて、寒い。郊外の駅とはいえ乗客は多く、どこに向かうのか皆じっと電車の到着を待っている。山口県の片田舎では決して感じることのないような寂寥感。街でのみ感じる孤独感。想像力はその対象が多ければ多いほど、一つに向かうそれは拡散してちいさくなってしまう。そう考えれば人口の多い都会で空間に飛び交う想像力は、そのほとんどが希釈された想像力でしかない訳で。
 次元は違うが、ハウスメーカーはみんなが対象。個人の大工はひとりが対象。似ていないだろうか? 「みんなのために」という言葉を私は信じない。ひとりと真剣に向き合ったことのない者に限ってそういう万人受けすることばを平気で使うからだ。みんなを愛するよりひとりを愛することのほうが難しい。徒労かもしれないが「ひとりに向かって」を繰り返し実践してゆくしか普遍性にたどり着く道はない。


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「誰の」発言か。

大阪府の橋下知事は、米軍普天間飛行場の移設問題で、関西国際空港への移設について「政府から正式に話があれば、基本的に(議論を)受け入れる方向で検討していきたい」と述べ、この発言が波紋を広げているらしい。

普天間移設:「話あれば関空に」橋下大阪府知事
普天間移設 橋下知事の「関空発言」、波紋広がる

米軍再編問題については、厚木から艦載機移転が計画されている岩国市も当事者であるはずなのだが、そちらの計画がどうなるかについてはほとんど何も聞こえて来ない。艦載機受け入れの見返りとして何としても岩国民間空港を再開させたい二井山口県知事と福田岩国市長が、困惑しているという記事(米軍岩国基地:民空予算見送りなら、艦載機移転反対も−−知事 /山口)くらいだ。

米軍再編問題の別の当事者でもあり、岩国への米軍艦載機移転を拒否して先の市長選に敗れた前岩国市長の井原勝介氏は、自身のブログで「今回の(橋下知事の)姿勢は、大いに評価できる」と述べている。(橋下大阪府知事の発言)

私は、今回の橋下知事の発言は全く評価しない。理由はただひとつ。この発言を行ったのが他ならぬ橋下であるということ。彼は過去、テレビを通じて、光市母子殺害事件の弁護団に懲戒請求を行うよう視聴者に呼びかけたが、自分自身は「時間と労力を費やすのを避けた」と懲戒請求は行っていない。自らは一歩下がった安全な場所にいて周りのものをコマのように動かす。こういう輩を卑怯者という。

彼は普天間飛行場が関西空港にもってくることなどできるわけがないと考えているだろうし、万一そうなったとしても自身は直接の被害を負うわけではない。彼が過去、どのような発言をし、どのように責任を取って来なかったか。そこをふまえることなく、彼の発言を字面だけで手放しで賞賛することなどできない。自らの責任を基盤とするものでなければ、いかなる言動も評価に値しない。自らも心したいと思う。

原発推進のための企業広告についての疑問

いろんなことを比較検討する際には前提条件を合わせることが必要であり、前提条件が同じでないものを比較することはできない。
「ある地点から、1キロ離れた地点に歩いてゆくA君と、2キロ離れた地点に歩いてゆくB君とではのとではどちらが早く目的地に着くか。」という問いに対し、単純に「A君」と答えることはできない。A君とB君の歩く早さが同じであるとは限らないし、A君の目的地は道険しい山の上かもしれないからである。

11月27日発行の無料広告紙に、以下のような中国電力の広告が載った。

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「100万キロワット級(およそ原子力発電所1基分)の発電所を1年間運転するために必要な燃料の量を、「濃縮ウラン21トン、天然ガス93万トン、石油146万トン、石炭221万トン」だから「ウランは小さくて力持ち」と記述している。
しかし、この比較は先述の前提条件を同じくしない。すなわち4つの中で濃縮ウランだけが高度な加工品である。濃縮ウランをつくるためには精錬,濃縮といった加工が必要であり、その過程で膨大な資材や設備、エネルギーが投入されている。この過程がなくては原子力発電はそもそも成り立たないのであるから、これらに関係する施設を無視して、最終的な発電施設のみを取り上げることは前提条件としてそもそもおかしい。必要となる原子力発電関連施設はすべて発電所の一部として考える必要があるだろう。そうやって前提条件を合わせて比較するのであれば「濃縮ウラン」ではなく採掘された状態での「ウラン鉱石」であるべきだ。調べてみると、濃縮ウラン21トンをつくるために必要な天然ウランは133トン、天然ウラン133トンを取り出すために必要なウラン鉱石は91,000トンとなる。

したがって、厳密に比較検討するのであれば、「濃縮ウラン21トン」は「ウラン鉱石9万トン」でなくてはならない。

もし意図的に前提条件を無視してこのような資料がつくられたとするならば、彼らの提出する資料は全てにおいて信憑性は疑わしい。もし正しい資料と確信してつくられたとするならば、彼らに原発を総合的に管理する能力がそもそもない、ということになる。

原子力関係の情報についてはきわめて閉鎖的で一方通行。検証する術を持たないと知らないうちにだまされる。自分で調べてみないとだめですね。

(追記)
この資料を作成したのは資源エネルギー庁となっているが、それを裏付けるように、日本の各電力会社はこぞって原発推進に都合のいいこの資料を使っている。資料の作成にあたっては当然税金が使われているし、電力会社のこうした広告費用も、消費者が支払った電気料金から支払われている。国の原子力関係予算は年間およそ5000億円で国民ひとりあたり約4000円。この金を全部第1次産業にまわせ、と言いたい。






怪我と痛みについて

子供には「小さな怪我はすればいい」とよく言っている。大きな怪我を避けるためには小さな怪我をもらっておく事が、ある意味で必要不可欠だと考えるからだ。ことばで「刃物は危ない」と子供に言っても、ナイフを使って自分の指を切ったりした事がなければ、刃物がどれほど危険なものかは本当に理解することはできないし、人の皮膚という物がどれほど柔らかいものなのか、自分の身に流れる血のあたたかさも実感する事はできない。

私が二階の梁から落ちたのは昨年の10月1日。第12胸椎圧迫骨折と診断され、年末までの3ヶ月を安静に過ごした。幸いなことにほとんど後遺症もなく現在も大工を続けている。自分の不注意から怪我をしたことを今でも悔やんでいるし、引き渡し前の現場を抱えての怪我は精神的にも金銭的にも相当こたえたことは確かだ。しかし収穫は確かにあった。何もできない毎日で、半身不随の人の生活を文字どおり我が事として考える機会をもらったわけだから。

・昨日と同じような生活が今日も送れるということは決して保証されたものではない。
・表面的に知っているという事とその事を深く考えるという事の間には雲泥の差がある。
・自分が知っていると思っていることでも本当はほとんど分かっていない。

怪我をしたとき、本を読んでいてうなった文章があります。以下。

「痛みとは、たとえ同一の集団で同時にこうむったにせよ、絶望的なほどに「私的」であり、すぐれて個性的なものだ。つまり、痛みは他者との共有がほとんど不可能である。ーーーーー(中略)ーーーーー私固有の痛みとはるかな他者のそれには、やはりなにかの縁があり、ときには果てしない距離を置いてたがいに鈍く重く疼きあうこともありえようと私は思っている。二つの異なった痛みをつなぐのは、私的痛覚を出発点にした他者痛みへの想像力に他ならない。むろん、おおかたそれは容易に届きはしない。翻って、他者の想像力も私の核にたやすく達しはすまい。痛みはだから、いつも孤独の底で声を抑えて泣くのだ。しかし、それでもなお、私の痛さが遠い他者の痛さにめげずに近づこうとするとき、おそらく想像の射程だけが異なった痛みに架橋してゆくただひとつのよすがなのである。私たちの日常の襞に埋もれたたくさんの死と、姿はるけし他者の痛みを、私の痛みをきっかけにして想像するのをやめないのは、徒労のようでいて少しも徒労ではありえない。むしろ、それが痛みというものの他にはない優れた特性というべきである。」   辺見庸『痛みについて』より抜粋

自分の感情や考えをクリヤーにするには「ことばとして表現する、書く」ということが必要不可欠だという事も、最近確認した事のひとつです。もうひとつのブログ「木の家をつくる〜土に還る家づくり」「自分の家をつついてかんがえたこと」を投稿しました。 そちらのブログからこちらに飛んで来てくださった方、どうもありがとうございます。(久良)

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Author:にすけまる
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